計算機と人工知能

計算ができることは知能があることと同値であるとの判断が一部にはある。たとえば「カラスは1桁の足し算ができるかもしれない」という話は、カラスが高い知能を持つ、ということを言いたい表現である。実際に計算は人にとって大変な頭脳労働であり、知的に大変な作業である。これを代行するために計算機が考案され、数理論理学が理論を計算式に変えたことで、計算機が知能への道であるとの判断はより強められた。その意味で、電子計算機は最初から人工知能の問題をはらんでいた。電子頭脳、あるいは電脳という表現すらある。しかし、現在において、計算に特化した電子頭脳である電卓に知能を見いだすものはいないであろう。その意味で、人工知能の問題は、「どうやって知能を代行するか」より、「そもそも代行すべき知能とは何なのか」を問い続けた経過でもある。

ダグラス・ホフスタッターはその著書『ゲーデル・エッシャー・バッハ』で人工知能の発展についてまとめた中で、人間の精神活動で行われることを行えるようなプログラムが出来るたびに、人々はそれが「真の知能ではない」ことを見いだすことを繰り返してきた、と述べ、皮肉を込めて「人工知能とは、その時点で未だなされていないもののことである」といっている。 このように、人工知能で何か新しいことを実現したときに、それが単なる自動化であって知能とは関係ないと結論付ける心理効果を「AI効果」と呼ぶ。 この背景には「知能」が人間に特有であり、機械や動物によって達成されるものは逆説的に「知能ではない」という思い込みが関係している可能性がある。

レッツスタディー

レッツスタディーへようこそ!